ラン×グラフ

ランニングしながらグラフを更新するブログ

「海を撃つ」を読んで

ここはランニングの記録を残すために作ったブログなのでここに書くか迷ったんだけど、自分のブログで今アクティブなのはここだけなので、ここに書きます。

著者・安東量子さんとの関わり

原発事故後に、いわき市の末続地区で地道な活動を行ってきた安東量子さんの書いた「海を撃つ」がみすず書房から出版されました。この話、私個人としてはまんざらマラソンと関係ないわけじゃないんです。

東日本大震災によって起きた東京電力・福島第一原子力発電所の事故後、2011年の末頃にチェルノブイリ原発事故に関連するスライドや文献を(ネット上でつながり)ボランティアで翻訳している人達に加わったのが、安東さんと知り合ったきっかけです。翻訳の話はこの本にも登場しています。

私がランニングを始めた最初のきっかけは健康のためですが、その後に走る距離を伸ばし、レースにエントリーし、サブ4を目指して達成し、トレランにもエントリーするようになったのは、この時の翻訳ボランティア仲間のおかげなのです。

 

当時、翻訳ボランティアでつながった人達、そして安東さんの地元での取り組みに賛同を表明した人達がいました。今振り返ると、そこでつながったはずの人達も、原発事故後に社会に起きたいろいろなことに対する考え方、行動は様々でした。そしてその違いが原因でそういう人達の間にも少しずつ違った距離感が出来てきたように思います。

私は当時から今に到るまで、東京で出来る本当にささやかな手伝いを継続してきました。いろんな理由がありますが、その1つは安東さんの社会問題や困難に直面した人達の理解のし方、向き合い方が現実的で地に足がついていたものだと感じたことです。

私自身は他の分野の社会問題で、困難に遭遇した人達と関わる機会がこれまでに何度もありました。そこから学んだことと安東さんが述べていることは、本質においてまさに一致するものでした。そしてそれはボランティアで翻訳した、ベラルーシで行われた取り組みと、その教訓から作られた勧告にも共通していました。(本書でこれも紹介されています)

出版について

私は、安東さんは三度の飯より文学が好きな人で、(ブログや原稿を読んだところ)読むだけでは無くて書くことも大好きで文才のある人と思っていました。

そんな安東さんはツイッターで諸々のことについて断片的に私見を述べたり、頼まれて雑誌等に原稿を書いたり、論文を書いたりしていましたが、私はもったいないと思っていました。自分自身でまとまったものを書けばいいのに、と(本人に伝えたことはありませんが)ずっと思っていました。

そして同じようにもったいないと思った方がいて、その方がプロの優秀な編集者だったため、その方の御尽力によりついに執筆、出版に到ったようです。(私は内情を知っていたわけではなく、本が出る段になってはじめて知ったのですが。)

「海を撃つ」

「海を撃つ」についてはいろんな方が的確な感想、すばらしい書評、的を射た解説を書かれています。私自身は達筆でもなく他の方の書いたもので充分で私のつたない文章で却って評価を下げてしまうのではないかと心配していました。

しかしながら信頼する友人の書いたものであるという贔屓目を除いたとしても「海を撃つ」は、すぐれた作品であると思ったので、自分自身の記録とする目的でここにメモを残しておきたいと思います。(どのみちこのブログはそんなに読まれているものでもありませんし。)

 

まず、原発事故を扱った類書とは全く異なるものです。著者自身の「正しい理解の仕方、考え方」を受け入れてもらおう(押しつけよう)、他人に自分と同じように考えてもらおうとするものではありません。何かを告発するスタイルでもありません。

 

著者自身の生い立ち、実際の経験を綴ることで、たとえば広島の原爆による「被ばく」という大きな出来事が、当事者、当事者周縁の人々、関わりの薄い人の人生にどのような影響を及ぼすのかが丁寧に描かれています。

そして街で育った著者が、開拓によって作られた地域に移住し関わることで、そのような地域に住む人々にとって大切な暮らしが、その地域からみれば余所者である著者の視線を通じて分かります。

このように著者の個人的な人生の一部を追体験することで、人生や社会に普遍的なことが理解できるようになっています。地理的にも福島に限定されたものではありませんし、時間的にも著者の人生を超えた長い時間軸が設定されています。

これは文学作品の構造ではないかと私は想像しました。文学大好きな安東さんならではの構成ではないかと。主人公(著者)のこれまでの人生はこのためにあったのではないかとすら思わせるものがあります。

 

福島第一原発事故以降の経験についても詳しく綴られています。チェルノブイリ原発事故後に被災した人や問題に取り組んで来た人々、著者自身が福島のある地域で取り組んで来たことと、自らの失敗から学んだことを、そのような人々との交流の様子を通じて丁寧に綴られています。

他者と関わる時に、謙虚に向き合っているその当事者から(語られなかったことからも)学ぶ姿勢、そしてその暮らしや人生を大切にしていく姿勢が一貫しています。

内部の人間でもあり外部の人間でもあるという自らの立場に自覚的です。そして著者自身に対して当てられた光によってできた影が出来ていることを自覚し、それに対しても自らの思いが綴られています。著者自身の地域での活動の成果についても非常に覚めた目で評価されています。

 

今日は震災から8年目の2019年3月11日です。被災当時のこと、そして「復興」の様子などが報道されています。

「海を撃つ」は、そのような過去の話でもなく、表面的な「復興」の話でもなく、現在進行形の、そして将来にわたる個人個人の暮らしや人生に心を寄せる作品であり、高いところから眺めた景色ではなく、一人一人に向き合い、手を尽くした上での無力感をも綴られている作品だと感じました。

 

事故以来続いてきた、ネットやメディアでの議論、論争に嫌気が差して、あるいは最初から関心がなく、そういうものから距離を置いてきた人は少なくないと思います。むしろ一層増えているのではないでしょうか。私自身もそういう側面があります。

将来の世代は、そのような論争そのものを理解できないでしょう。

 

本書は現代のそして将来のそういう人にこそ末永く読まれ続ける可能性のある、(安東さん自身の好みどおりの)「文学作品」であると思います。

 

「贔屓目を除いたとしても」と書きましたが、現実にはそのなことはありえないので、贔屓目がかなり入っていると思います。

 

駄文、失礼いたしました。(マラソンブログとして読んでくださっているみなさん、すみません。)