ラン×グラフ

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横浜マラソンレースレポ(スタートからゴールまでと撃沈の理由)

昨日の撃沈横浜マラソンのレースレポです。撃沈レースの振り返りはしますが、振り返りをすることで課題を得て今後に活かす方針です。

まずは全体像。ランナーズアップデートの区間毎からのペースの記録と公式サイトの地形にガーミンで記録された地形を重ね合わせたグラフです。

グラフの「累積ペース」が「4時間ペース」より速ければ(グラフ上で下にあれば)サブ4です。33キロあたりで4時間ペースより遅くなり35キロ地点到達した時には大幅に間に合わなくなっているのが分かります。

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5キロ等の大きな区間記録だと撃沈したことは分かっても、詳しい状況が分かりません。そこでガーミンのGPSデータからgpxファイルをダウンロードして100m毎に平均したいつものグラフを作ってみました。ただし今回はガーミンの距離の誤差を補正して全体が42.195キロになるようにし、さらにランナーズアップデートの区間毎の平均に一致するように区間毎に補正してみました。

「累積ペース」はD突堤の折り返し付近の34キロあたりで「4時間ペース」より遅くなっています。このあたりで時計を見ながら計算してそれに気がついていました。

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上の2つのグラフを重ねると下のようになります。(公式の標高グラフは省きました。)

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細かいことは書かずにグラフに沿って、レースを振り返ってみたいと思います。

スタートブロックはB

今回は申告タイムとスタートブロックが必ずしも整合していないようで、私もサブ4ギリギリのタイムを申告したにもかかわらずBブロックでした。Bブロックの先頭付近に並んだところ、初めて遠くにスタート地点が見える位置、スタートラインまでに5分程度しかかからず、スタート直後のペースもそこそこ速くキロ6分を切るくらいです。

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1、2キロも走ったらすぐに予定ペースのキロ5:30(誤差があるので実質的にはキロ5:34程度)に達しました。その後、混雑して落ちたりもしましたが、おおむね予定のペースで走れました。

横浜スタジアムをまわる迂回ルート(スタートから5キロ前後)の途中で、まわりの声ですぐ横に黒岩神奈川県知事(64歳)が走っているのに気がつきました。知事は5時間を切るタイムでゴールされたようです。私の方がペースが速いので知事に声を掛けることもせず追い抜きました。

横浜マラソンは特に序盤はまわりの風景がどんどん変わり、右左折も多く、飽きないコースだなと思いながら走ります。またビル街なので影になり日差しに当たらなくてすみ、沿道の応援も賑やかで楽しい区間です。

首都高の高架道路の下はGPSが届かない

スタートから9キロ半ほどあたりから首都高の高架道路の下に何度か入ります。大きな区間は9キロ半から13キロあたり、そして15キロ過ぎから18キロ過ぎのあたりです。高架はかなり高いので場所によっては日差しがあたり、ランナーの多くは日影を走りはじめます。

事前には気がつかなかったのがGPSの電波が届きにくいことです。レース中はガーミンの上段に現在のペース、中段に1キロずつのラップペース、下段に全体を通した平均ペースを表示して、ペースがほぼキロ5:30か少し下まわるくらいで走っていたのですが、高架下に入った途端に全く当てにならない数字を表示し始めました。

ここは自分のペース感覚に頼るしかありません。スタートからそれまでに維持してきたキロ5:30を意識して時計に頼らずに走りました。結果としては5キロラップのグラフをみると分かるように最初の高架下は少し速めでキロ5:20~5:25程度、次の高架下は予定通りキロ5:30で走れていたようです。ペース感覚にちょっと自信がつきました。

最初の高架下に入ってから10キロ以上走り、横浜南部市場にちょっと入ってすぐに戻った後、お待ちかねの首都高に登るランプが見えました。高架下を10キロ走っている間はこのランプが待ち遠しく思え、ランプの急な坂に到着した時は楽しく感じました。

首都高の上は緩やかな長い坂の繰り返し

首都高に登るランプを含めると首都高部分には6つの上り坂があります。ランプと比較すれば緩い坂なので、最初は大したことがないと思いながら元気に登っていきましたが、とにかく長くてその長いのが遠くまで見え、景色にも変化がなく、カーブの区間ではバンクになって横に路面が傾いているのがキツくなります。

私はキツくなるとトイレに行っておきたくなるのです。横浜マラソンはとにかくトイレの箇所数が多いので、安心してパスできるのですが、3つ目の坂の後に空いたトイレを見つけたので行っておくことにしました。ちょうど一人出てきて次に入ろうとする人もいなかったので待ち時間ゼロ、ロスタイム1分程度です。過去のレースと違ってその後も予定のペースに復帰して順調に走りました。

その後、さらに3つの坂を上り(そして下り、バンクの斜めの地面に悩まされ)、疲れが出て、給水所でややペースが落ちたように記憶しています。(グラフもそうなっています)

30キロを過ぎたあたりなのですが、そこでわたなべさんがボランティアをしていると知っていたので、それを頼りに走りました。(板橋の時は別のランナーさんが沿道で応援しているのを頼りに30キロ付近で頑張れたのを思い出しました。)

通過するランナーに次々とハイタッチしているのを見つけ、私もハイタッチしてもらって、元気が出て(確か坂も終わった区間だったと思う)、ペースが戻ったのがグラフを見ても分かります。30キロから32.5キロのラップペースは落ちてしまいましたが、最後までキロ5:30で走れる気がしていました。そして脚の痛みは感じながらも、脚が止まりそうな予感は全くせず高速道路を走って降りていきました。

撃沈のD突堤

D突堤は厳しい、と事前の噂は聞いていました。

D突堤は3キロ程度なのですが(D突堤の一部だろうと感じるのは前後を含めて5キロ)、これがとてつもなく長く感じます。もうそこが折り返しだろうと思ったところに行ってみると曲がった後にさらに続くということが何度か続きます。

そして少し暑さにやられてきた感じがありました。暑いレースで熱中症になるのではないかとペースを落としたりリタイアしたことが2度あるのですが、その時のように頭に熱がこもっている感覚がありました。(これが高速上だったかD突堤に入ってからかは思い出せません)

ここに来るまでもほぼ全ての給水所でスポーツドリンクを取り、D突堤に入ってからはスポーツドリンクと水と多めに取ったりしていましたが、ついにペースが落ち始めてしまいました。D突堤に入って最初の給水所にあたりからです。

その後は途中でストレッチをし、しまいには歩きが入ります。歩きは30秒までにおさえようと決めて30秒あるいてはのろのろ走る、を繰り返しました。それで少しでも休まればまたペースを上げられるだろうというねらいです。途中で水かぶりがあるのに気がついて何度か水で身体も冷やしました。

全体の平均ペースをみるとそろそろサブ4は無理になってきたことが分かりました。D突堤を過ぎてもまだペースアップできません。途中で給水所の手前で一回座って少し休憩し、また再スタートです。

再度走り始める

38キロを過ぎたあたりから、ようやくペースを上げられそうになり、頑張ってペースを上げました。グラフをみると分かる様に、その後じわじわとペースが落ちていきますが、そこからは最後まで歩かずにできるだけペースを落とさないよう頑張ってゴールに辿り着きました。

ゴール後の異変

ゴールについて2018年のメダルとスポーツドリンクをもらい、2017年のメダルをもらいにいくまでの徒歩がとてもつらく、その前に座り込もうかと思うのを頑張って2つ目の完走メダルをもらいました。

そこで力尽きて、芝生に寝転びます。広い芝生には大勢のランナーが座ったり転がったりしていました。

しばらく横になって休み、元気は出ないながらも起き上がったところ、気持ち悪くなって、少しもどしてしまいました。(ほとんど水分とわずかな米粒だったので後でティッシュで片付けましたが)

まわりの方が救護のスタッフを呼んでくださり、水をいただきました。いったん治まったように感じたので、さらに少し休んだ後で、会場に向かいタオルを受け取り、そこでいったん床にすわりこみました。

妻にLINEで様子を知らせたところ、妻が会場に入る際に救護の方につたわり救護所に連れて行っていただきました。

脱水症状との医師のみたてで、経口補水液(オーエスワンではないのですが、オーエスワンと呼ばれていました)をもらって、寒気もしたので毛布にくるまり、長い時間休ませていただきました。少しうとうとした後にすっかり元気になったので、会場を出て家族と食事をしてふつうに帰宅できました。

最初に救護スタッフを呼んでくれたランナーさん、そして救護の方には大変お世話になりました。ありがとうございます。

救護所には次々と暑さにやられたランナーが運ばれてきます。私と同じように椅子で休まれる方、簡易ベッドに横になって点滴を打たれる方、そして病院に搬送される方など、いつもどうかを知らないので比べることは出来ませんが、多かったのではないかと推測されました。

そういえば、首都高の上で、救護スタッフ(ドクターランナーかも)に心臓マッサージをされているランナーさんがいました。無事に帰宅されていることを祈るばかりです。

撃沈の理由について考える

上で暑さと書きましたが、実はD突堤でもその後も、暑かったという記憶はないのです。ゴール後、妻に「暑かったからね」と言われてはじめて気がついたというのが本当のところです。

走っている時は、脚は痛いけど普通程度だし走れないほどじゃない、息も上がってないし呼吸も苦しくない、でも走れない....と思ったのを思い出しました。頭の中に熱がこもった感覚があった時点から、熱中症が始まっていたのかもしれません。

ふがいなく歩いた時は、首都高の坂とD突堤でやられた、と思っていたのですが、そうではなくて暑さが原因だろうというのが現時点での推測です。

思い返せば5月のハーフマラソンでは、暑さでペースを落として走りました。そして先日の30キロレースでは熱中症になりそうと感じ20キロでリタイアしました。今年の夏は昼間はほとんど屋外では走らず、夕方以降の帰宅ランか、トレッドミル中心でした。暑熱馴化ができていなかった可能性は大だと思います。

ちなみに1キロ毎の平均心拍数はこんな感じ。上がっても170bpm程度で、この後走り続けられたらどうだったか。かすみがうらでもピークは170bpmで、その後少しペースダウンしています。

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平均ピッチは下のグラフです。走ってる時は180くらいですが、少しずつ落ちてきています。

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平均歩幅は下のグラフです。走っている時でも1mを切るくらいです。ピッチが落ちている区間と歩幅が落ちている区間が違うのが面白いですね。最初歩いたころは歩幅を大きくして歩いて、そのうちその元気もなくなった、ということかもしれません。

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以上、まずはスタートから撃沈ゴールまでの概要と撃沈の理由を振り返ってみました。