ラン×グラフ

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かすみがうらマラソン2019-救世主現る、そしてゴール

救世主が現れた話の前に、心拍数160bpmを超えてから撃沈までの距離が短すぎる話をしましょうか。

心拍数160bpmを超えてから撃沈までの距離(過去レース)

今回のレースを含めて7回の、1km平均の心拍数が超えてから、撃沈(というほどでなくても計画ペースを維持できなくなる)までの位置と距離を並べて見ます。

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心拍数160bpm超えから撃沈(計画ペース維持できず)まで

心拍数が160bpmをこえた区間>→<ペース維持できなくなった区間160bpmを超えて走った区間という並びで表記します。

 湘南国際  2017:30km→38km( 8km)※歩いた
 板橋City2018:19km→34km(15km)※歩いた ★晴輝さん@32km
 かすみがうら2018:23km→39km(16km) ▲ ※初めて歩かず完走
 横浜    2018:18km→34km(16km) ★わたなべさん@31km
 湘南国際  2018:33km→     撃沈なし ※初サブ4
 板橋City2019:17km→34km(19km) ★晴輝さん@32km
 かすみがうら2019:21km→31km(10km)※歩いた

今回の10kmは初マラソンの湘南国際マラソン2017に次いで粘れなかった、ということになります。

今回との違いについて思い当たることが1つありました。

★をつけた3レースは、ラン友がいて「そこまでは撃沈できないぞ」頑張ったレースです。板橋2018はまだ面識のなかった晴輝さん(厳密には10km地点で面識)、横浜2018はエイドでボランティアをしていた わたなべさん、板橋2019はペーサー兼コーチの晴輝さんが★の後の数字の区間にいました。そこまでは苦しくても頑張って、さらにその後2~3kmは粘れたということになります。

晴輝さんも わたなべさんも私の応援のためにいたわけではありませんが、ラン友がそこにいるという事実は大きかったです。「目標タイムのために通過すべき時間に遅れるわけにはいかない」と思って走っていました。

▲をつけた かすみがうら2018は、直前に練習できない期間(ぎっくり腰など)があったため目標タイムを決めなかったレースなので、負担が軽く事情が違ったのかもしれません。(見方を換えれば実力にあったペースだったのかも)

下のグラフは過去3回のレースの心拍数です。今回は前半のペースを抑えたので心拍数が160bpmを超えるのは遅く、かつその後も板橋より低めに抑えられているのですが、撃沈が早く大きかったことが分かります。

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過去3回のレースの心拍数

ちなみに、暑さのためゴール後に救護所のお世話になった横浜マラソン2018と比較すると下のようになります。160bpmを超えた地点が違いますが、似たような経緯をたどっています。ただし横浜は冒頭の渋滞の影響が大きくペースが遅かったので4kmあたりまで心拍数がゆっくり上がっています。

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横浜マラソンとの比較

救世主がなぜか後ろから現れる

レースの話に戻ります。歩いたり走ったりし、しまいにほとんど歩いている時、後ろから声を掛けてきた人がいました。もうPB(3:54)達成は無理になった段階です。

前を走っているはずのなかのっちさんでした。

脚のどこだかがピキッとなり、その後私を待っていたけれど中々私が現れないので、ちょっとトイレに行っている間に私が通過してしまったようです。(うろ覚えなのでちょっと違うかも)

話をしながら少し一緒に歩いているうちに脚が休まって回復したこともあり、また走り始めます。38kmのエイドの後、キロ5:40~5:50くらいまでペースが上がってきました。

途中で視覚障害者のランナーの方(伴走者はいませんでした)が転倒したのになかのっちさんが気がつき、心配してちょっと止まります。大丈夫そうだったので再スタートしました。そういえば私はちょっと前に伴走者が一人で走っているの見て不思議に思っていたのでした。

元のペースでゴールまでの距離を走れり続けられる気はしませんが、余裕が出てきたので、話をしながら進みます。

病気のため一旦引退されたロッキーおじさん(沿道でロッキーのテーマをかけてマラソンを応援していることで有名な方、最近は闘病しながら応援されていました)に応援を返して通過します。今回が最後の応援になるようです。

残り3kmを超えたところだったと思いますが、なかのっちさんが残り時間を計算して「サブ4行きましょう」と言ってくれました。それを聞いて自分でざっくり計算し「キロ5は無理」と言って、それでも少しペースを上げて走りました。

残り2kmの地点で改めて計算したところ、キロ6分で走れば42kmまで4時間以内に走れそうです(3km地点のざっくり計算は間違っていたよう)。42kmの先、残り200mありますが、もうちょっと頑張ればいけそうです。

サブ4直前の脚攣り

もうゴールの競技場が近いという雰囲気のゆるいカーブあたりだったと思います。右足のふくらはぎが攣りました。

いつもラスト付近でペースを上げようとして攣りかけ、一旦ペースを落として回避しているのですが、今回はその間もなく攣ってしまい道ばたに座り込んでしまいます。

41km地点を越えたところでした。気持ちが折れかけましたが、なかのっちさんが攣ったところを触って様子をみてくれます。

動けるようになったので立って歩き出し、痛みがおさまってきて少しずつ走り出しました。

そしてゴール

残り1kmを切ったあたりでキロ5分を切り、競技場の中ではさらにペースを上げてなかのっちさんと並んでゴールしました。

残念ながらPBどころかサブ4すら達成できませんでしたが、なかのっちさんと再会できなかったら、もっと悪い記録だった可能性があります。

ゴールしたところで、晴輝さんと、そしてスタート時から途中まで一緒だった70歳くらいのランナーさんが待ってくれていました。この方は私より40秒ほど先にゴールされていたようです。すばらしい頑張りです。60歳からマラソンをはじめられたそうです。

ゴール後の先の芝生の上に4人で座ってしばらく楽しく話をしました。(ずっと前にゴールをしていた晴輝さん、冷えて寒かったの気がつかずすみません)

ゴール後の疲労感

ゴール後には、救護所にお世話になった横浜ほどではありませんが、いつもフルマラソン以上に疲れを感じていました。芝生に「ちょっと座りたい」と言ったのはこのためでした。

この時に感じた疲れは気のせいではなかったようです。

この後、着替える元気が出なかったためランニングウェアの上から服を着込みました。はじめてのことです。そして会場から土浦駅に行く途中でこの疲れはエネルギー不足ではないかとコンビニで補給して座ってしばらく休みました。(そう言えば、持って走ったマグオンは予定の3つのうち1つしか食べず、エイドでも1度バナナを取っただけで、エネルギー不足だったかもしれません。)

常磐線に座れてしばらく休めたにも関わらず、自宅近くのカフェで妻と合流した時には顔色が悪いと言われました。(先月の板橋Cityマラソンの時には同じ場所でけろっとして「脚は痛いけど疲れてはいない」などと言っていました)

今回は平年並みの気温で、おおむね日も照らず、やや風が吹いていたので、雨が降った昨年よりは暑いとはいえ、走っていても熱がこもるのを感じるほどではありませんでした。それでも暑さの影響があったということなのかもしれません。

暑さ対策は今後の課題です。

 

ゴールまで辿り着いたので、あとは全体のグラフやまとめを書きたいと思います。