ラン×グラフ

ランニングしながらグラフを更新するブログ

初ハセツネ 達成したものと得た課題・思いつきの功罪

7月に「今年のチャレンジ」として書いたうちの1つにハセツネ(日本山岳耐久レース)がありました。チャレンジといっても自分にはハードル高いから参加することはないだろうと思っていた大会にうっかり、思いつきでエントリーしてしまったというものです。

結果は42.09km地点の第2関門、月夜見第2駐車場で関門時刻に数分間に合わず終了でした。

大会前まで

今年は年明けから月間走行距離が落ちていました。だいたい170キロ/月前後が続いています。

(思いつきで)エントリーしたのが6月15日(本来のエントリー日ではなく、キャンセルした方のエントリー権を譲り受けられる「ゆずれ~る」エントリー)です。

7月は元々マラソンのための練習メニューを始める月ということもあり232キロ走りました。(急激に練習量を伸ばして怪我をしたくないのでこの程度)

9月には朝霧マウンテンオリエンテーリングが控えていることもあり、マラソン練習メニューの中でも長時間動き続けるものに重点を置くつもりでした。

ところが8月に入ったとたんコロナに感染しました。ランニングが再開できたのは8月13日、それも初日は5キロ走って疲労感は大きく、翌日7キロで体力が戻ったのを少し実感という感じです。

初めてのナイトトレイル

その週末(8月19日金曜日の深夜から土曜日にかけて)は未経験の夜間走(ハセツネコースの終盤、奥多摩駅駅から大ダワに登ってフィニッシュ地点まで)をオリエンテーリングのクラブの先輩(ハセツネ完走経験多数)とともに予定していたので、体力的に問題ないか確認するため、7キロの翌々日にゆっくり20キロ走りました。そして夜間走の練習は体力的に走れる状態ではないので全て歩きました。

眠気に弱い私ですが、この時は最初から最後まで一度も眠くなることなく終了しました。眠くならなかったことが安心材料だと思ったのですが、甘い見通しだったことが後に本番で判明します。

練習会サポート・朝霧マウンテンオリエンテーリング参加

次の週末はトレラン練習会のサポート(スイーパー)で13.5キロを最終参加者とともにゆっくり歩きました。体力は落ちていますがこのペースなら十分に余裕があります。

体力が落ちているので本来のマラソン練習メニューには復帰できず、平日は朝霧マウンテンオリエンテーリングに向けて大きめの荷物を背負ってゆっくり帰宅ランしました。

9月9、10日が朝霧マウンテンオリエンテーリングの本番です。

翌週9月16日、17日は、姫木ミドルオリエンテーリングとオリエンテーリングクラブカップリレーに参加のため、週末のロング走も山練もできません。

2回目の試走

その翌週末には、もうハセツネの2週間前です。

試走が全然できていないので、もう1区間だけでも試走することにしました。都民の森から三頭山手間に入り大ダワから奥多摩駅に降りる予定でしたが、知人のアドバイスがありスタートからの試走にして水の必要量を確認する計画に変更しました。

ところがその日は市道山分岐で蜂の巣の撤去作業があり終日通行止めであることをラン友さんに指摘していただき前日の夜に元の計画に戻すというバタバタぶりです。

こ試走は22キロ、累積上昇1641mでした。走れる区間もゆるく走った程度なのですが、今年の夏前ではありなかったほどキツかったのです。水曜日までは筋肉痛で走れず、木曜日もまだ少し筋肉痛が残っていたほどでした。

想定以上のダメージで2週間後のハセツネ本番が心配になる一方で、ここで1回筋肉痛になっておいたので本番への備えになっただろうとも思いました。

試走の日はこの秋やっと涼しくなった日で、水の消費量は1.4リットル、行動食による摂取カロリーは656キロカロリーでした(スタート直前にもこれとは別に摂取)。これでハセツネ本番の必要量は水が最低3リットル、行動食が最低2100キロカロリーと概算、実際にはもう少し余裕を見た方がよさそうとあたりをつけました。

事前のペース配分戦略(?)

過去の最長距離は30キロ、累積上昇は練習会でも2000m程度なので、そもそもハセツネはハードルが高いと思っていた私なのですが、現実はそれより体力が落ちている状態です。

ハセツネを完走できる可能性は多く見積もっても1、2割程度だろう、実際は試走区間(三頭山)までもたどり着けないのではないかと予想しました。

この小さい確率を現実にするため歩きを主体にすることにしました。

スタート直後は追い抜かれるままにゆっくり目に走り、山に入ってシングルトラックで後ろに迷惑をかけないよう走らざるを得ないところは走り、走りやすい追い抜きのできる区間は原則として歩いてダメージを最小限にする、できれば登り等の疲労からの回復をねらうというものです。

それでも完走できる気はしませんが、目標を高くしすぎてストレスを感じるよりも、行けるところまで行く、と気持ちを楽にした方がより先まで行けそうと考えました。

大会前日・当日

前日の昼寝

大会前日(10月7日土曜日)は何故かやたらと眠く、荷物の準備ができた後、何度も昼寝をしました。体調が悪かったわけではなかったので、本番で寝られないことが分かっていたので眠っておくべしと身体が判断したのかもしれません。

スタート前

当日は6時に起床、8時前に自宅を出て会場入り、受付をして更衣室兼荷物置き場に移動し装備の準備をしてスタート時間近くになるのを待ちます。ここで仮眠できるようマット?を持って来ているランナーさんが少なからずいました。フィニッシュ時刻が早いランナーさんはフィニッシュ後もそれで寝るのでしょう。

その後、受付付近にもどり知人と会ったり写真を撮ったりした後、スタート列に並びます。自分の経験と実力には不相応な第3ブロック(まんなかあたり?)だったので、できるだけ後ろの方に並びました。(30キロまでのトレイルの大会ではまんなかあたりの順位なので、ITRA パフォーマンスインデックスでスタートブロックを決められた結果の第3ブロックなのでしょうね)

スタートから第一関門

スタート時刻がきてエリート選手からスタートしていきます。ウェーブスタートではないので、その後のブロックもそれに続いてスタートしていきました。

その後のペース配分は事前に決めたとおり。第4ブロック、第5ブロック、第6ブロックの選手がどんどん抜いていきますが気にしません。

山に入りシングルトレイルでは大渋滞となりますが、ここで脚を休めるんだと考えると全く気にはなりません。走れるところは流れに合わせて走ります。

その後、選手が少しずつばらけて来たあたりからは、歩いても問題なさそうなところは積極的に歩きました。(歩くことでむしろ回復できるのでは、と考えたのは大会前ではなく実際はこのあたりでした)

前半は試走をしていないので、今どのあたりなのかあまり考えずに進みます。友人の過去大会のGPSデータをいただいてガーミンに入れてナビゲーションを設定してあるので地図上で時々確認します。拡大縮小ができるのでコース全体のどのあたりにいるのかも分かります。

だいぶ進んだつもりでしたがまだ10キロ地点の先にある市道山分岐でした。スタッフの案内に従って分岐を曲がり(蜂の巣が撤去されたあたりだなぁと思いながら)降りていきます。

途中で暗くなってきたので途中でヘッドライトを装着し、ヘッドライトとウェストのライトをつけます。ウェストのライトは黄色い光に設定しました。

トイレ渋滞で1時間

相当進んだと思ったころでやっと22キロすぎにある第一関門(浅間峠)到着です。ふだんは20キロ台のレースに出ることが多いので「相当進んだ」と思うのは当然ですね。

すでに小雨が降っていましたが、ぬれたのを感じたり寒くなるほどではありませんでした。

ここで初めてのトイレがあるので行っておくことにしたのですがこれが大変でした。

関門スタッフの予想では「20分くらい」ということでしたが、実際には1時間以上、列に並んで待つことになりました。(列はどんどん長くなっていたので予想よりも実際の時間が長いのは仕方が無いのですが)

ここからストックを使えるので準備しました。また列で長時間待っているため体温が低下して寒くなってきたためレインウェア(上)を出して着込みます。

この時、後ろに並んでいる方からザックの蓋が開いているのを教えていただき閉めていただきました。ヘッドライトを出したときに閉め忘れたようです。おかげで装備を落とすことも無く、本当に助かりました。

トイレ待ちですっかり冷えたのですが、これ以上着込むと動き出した時に暑くなりすぎることがわかっていたので、少々の寒さはがまんします。食べて動けば体温は維持できるはずです。

補給について

補給食(行動食)は2300キロカロリー、水は3.3リットル用意していました。補給の方は完走する場合でも24時間かける想定なので、1時間毎に100キロカロリーずつ摂取する計画です。

誤算だったのはトイレで1時間止まった後、どのタイミングで次の補給をしていいか判断が難しくなっていた点です。

止まっていたのだからとトイレ後に補給せずに再スタートしました。脚が休まっていたので比較的軽やかに山を登っていきました。

(ちなみにこの時も登りはがんばらず脚まかせで登っても、この後もまわりのランナーさんと比較して速い方でした。他のレースでもいつも登りで抜いていく方なのです。つまり下りが下手なので下りで抜かれまくるのですが)

軽やかに登っていったところ突然空腹感を感じはじめ、急に脚が動かなくなりました。トイレ待ちの後の補給を見おくったための低血糖だと判断し、補給食を摂り消化・吸収するまで我慢して動き続けることにしました。(止まって休むと体温が下がるので)

実は同じミスを後でもう一度することになります。三頭山の避難小屋でしっかり仮眠した後に、すぐに補給をせずに同じパターンを繰り返したのです。

補給についてはあと2つ課題がありました。100キロカロリー程度の補給食は計画的に摂りやすいのですが、300キロカロリー、600キロカロリーなど多めのものも持ってきていてこれが面倒でした。1時間後が次の補給のタイミングはわかりやすいのですが、3時間後とか6時間後は覚えていられないんですよね。600キロカロリー程度の方は少しずつ摂ることにしましたが、これはこれで面倒でした。

もう1つは胃の問題です。全く胃が受け付けなくなるところまではいかなかったのですが、胃に不快感を感じて食べたくないと感じるようになっていました。避難小屋の後に補給しなかった理由にはこれもありました。

あと飽きるんですよね。20キロ台でエイドがあるレースなら全く気にもならなかったのですが、味にこだわりのない私でも飽きるんだなぁと気がつきました。

睡魔との戦い

暗くなってきたせいか、18時台に入り少しずつ眠くなってきました。ふだんはこんな時刻には眠くならないし、ナイトトレイル練習では一度も眠くならなかったので想定外です。身体を動かし続けてきたので条件は違うのでしょうね。

また30キロ、累積上昇2000メートルを超え、自分の未経験のゾーンに入ってきました。

過去に経験したことがないという心理的なものもあったのだと思いますが、気持ち的にキツさが増してきました。おそらく眠気との戦いがつらいという要因が大きかったのだと思います。脚のキツさはそれほどでもないという自覚もあったからです。

眠気が強くなり事故のリスクを感じ始めたので、時々トレイルの脇に座って休むことにしました。体温が下がるので仮眠はしたくない(眠くて重ね着も面倒)ので少し休む程度でしたが、それでも一旦、少しすっきりして再度動き出しました。

これを何度も繰り返しながらなんとか眠気をごまかしながら進みます。

眠気も疲労もあまりにもつらくて、ハセツネは今回限りで再挑戦はしないと思っていました。

そのうち雨も強くなってきて地面も滑りやすくなってきます。特に下り斜面が怖いです。私は元々下りが下手で遅いのですが、滑る斜面の下りは本当に進めません。

試走区間に突入

眠気と自分の弱る心と戦いながら進みました。そしてリタイアできる場所が気になり始めました。

眠気と戦えなくなったら事故のリスクが上がるので、それならリタイアするしかないという冷静な判断と、その裏にはリタイアを自分に対して正当化したいという気持ちがありました。

リタイアできる西原峠は見送ります。もうすぐ試走で経験した区間だと思うと頑張れました。

試走では都民の森から大沢山の先あたり、実際には避難小屋より三頭山側に出たのですが、この時はどこでコースに出たかは分からず、見たことのある風景と感じうれしく思いました。せっかく試走しても大会では試走区間までたどり着けないかもなぁと思っていたためです。

避難小屋での逡巡

そして避難小屋に到着。

避難小屋の存在は知らなかったのですが、他のランナーさんがスタッフに訪ねて確認したのが聞こえそこが避難小屋であることを知りました。

中に入ってみると暖かくスタッフからお湯をもらっているランナーさんがいました。この大会は助力を得てはいけないのですが、その方はここでリタイアした方だったのです。

複数のランナーさん達が板の間で横になっています。その後に入ってきてリタイアを宣言するランナーさんもいました。

ここで私がリタイアするかどうかは別として、まず睡魔をなんとかしようと仮眠することにしてザックを降ろし枕にして横になりました。

少し寝ているとスタッフの方が入ってきて、完走するならそろそろ出発しないと間に合わないと寝ているランナー達に声をかけ、他のランナーさん達は次々と出発しました。

私はリタイアしたい気持ちもありつつ、一方で脚が終わっているわけではないので行きたい気持ちもあり迷ってすぐには出られません。

それでも「行けるところまで行こう」と決めたことを思い出し、まだ動けるのだからここでリタイアする選択はできないと考え出発することにしました。

まずはトイレと思って外の列にならんだところ、寝て体温が下がっていたため寒さに耐えられず一旦避難小屋にもどります。ぼーっと考えていたのですが、ザックに防寒着を入れておいたのを思い出し防寒着を着てトイレに行くことができました(実は列もなくなっていました)。

そして再出発。寝ていた時間は30分、避難小屋にとどまっていた時間は50分ほどです(時間は大会後にGPSの記録で確認しました)。

眠気が一掃され元気が出たのでリセットされた状態でスタートし三頭山山頂を越えたのですが、その後、先に書いたように補給を怠っていたため一旦低血糖気味となり、補給食を摂って我慢モードに入りました。

第2関門・月夜見第2駐車場を目指す

私はハセツネを自分が走るつもりが全くなかったので山の名前にも関門の名前にも疎いのですが、月夜見第2駐車場は関門地点として聞くことがあって知っていました。また試走でも通っていました。避難小屋から2週間前に実際に通って知っているルートです。

鞘口峠を過ぎて月夜見を目指しました。

しばらくするとまた眠くなってきたのですが、避難小屋前の最大の眠さほどではありません。

ヘッドライトを少しさげてキャップのツバが光るようにして少しでも光の刺激を得ようとしたりしました。

眠気が強くなってきたらまた途中で座って少し休んだりしたのですが、雨は強くなってきて座りたくない地面が増えてきたので、座る頻度は減っていたかもしれません。

だいぶ前から前後誰もいなくて一人だけで進んでいる時間が増えています。

時折後ろから来るランナーさんには道を譲りました。走りやすい区間では歩いていたため追い抜かされることが多く、登りではたまに追い抜くという感じです。

下りは泥々でシューズのラグが全く効かず(間に泥が入って一緒に滑ってしまう)、ストックをつきながら一歩一歩恐る恐る降りるところが増えていきました。

途中でウエストのライトが消え、ヘッドライトだけで進みました。(ハンドライトを出してもよかったのですがヘッドライトでなんとかなったので)後で確認したところバッテリー切れではなかったので、雨の影響か接触の問題だったのかもしれません。

月夜見山を過ぎ、関門が近づいたところでロストしかけました。ここは試走でも分かりにくかったところなのですぐに気がつき、斜面を登ってルートに復帰します。GPSでみたところ10mくらいで気がついたようです。ここでロストしたランナーさんは多かったそうで、時間を大分ロスした方も少なくなかったようです。

第2関門手前で数人のランナーさんに追い抜かされました。私がルートを確認するため時計をみていたのが関門に間に合うか時刻確認しているように見えたためか「間に合いそうですか?」と聞かれました。

彼らは泥々でヨチヨチ歩きのように進んでいた私の横を軽やかに駆け抜けていきました。私がおそるおそる滑りながら降りていくしかないようなところをどうやって走っているのか想像もつきません。

その方達が月夜見第2駐車場に近づいた頃、関門のスタッフが大声で「あと1分ですよ!がんばって!」と声をかけているのが聞こえました。

その時点で私が関門に間に合わないことは確定。その方達もスタッフに聞いたところギリギリ間に合わなかったようです。

初めての収容車

それでも関門までのロードは頑張って走り駐車場に入りました。ポカリスエットを1本いただきストーブのついたテントに入ります。

ここでシューズのチップが外され、ココヘリをレンタルしている人は返却します。(私は自分のココヘリだったのでチップのみ)

先にテントに入っていた人、つまりここでリタイアした人と関門に間に合わなかった数人とともに待っているとバスの用意ができたのでと案内されました。

バスで一旦、都民の森のテントに移送。そこからバスを満員にしてスタート・フィニッシュ地点の会場に搬送されました。

マラソンも含めて収容車に乗ったことはなかったので初めての経験です。

会場の店舗で食べ物を買って食べ、名前を知っているランナーさんの関門通過状況をネットで確認し完走を祈って、自分は帰途につきました。

達成したものと得た課題

関門アウトでしたが、結果としては自らギブアップすることなく「行けるところまで行く」ことができました。

距離も累積標高も自己最高です。

試走区間まで来られないかもと思っていた事前の予想を上回ることもできました。

特に2週間前の21キロでダメージが大きかったことから考えると上出来かと思います。

試走と本番あわせてコースを全て経験できたのも大きな収穫でした。

この大会で実際の自分の状況を途中までとはいえ確認できたのも大きかったですね。

翌日の今日時点では筋肉痛ほぼ無しなのは意外でした。走らない効果?が大きかったのか2度の休憩(トイレ待ちと仮眠)の効果なのか。

課題としては、

  • そもそも思いつきでエントリーし練習が全く足りていなかったこと(コロナで8月からの空白が大きかったのは不可抗力ですが)
  • 補給食で胃の調子が悪くなってきとこと(残り30キロ弱もったと思い難い)
  • 眠気問題への認識が甘くて対策を全くしていなかったこと
  • 計画通り補給できず低血糖気味になったこと(補給食の大きさ、食べにくさにも課題あり)

あたりでしょうか。

大会中は「ハセツネは今回限り」と思っていましたが、終わってこのように振り返ってみると、ここで得たものを生かして再挑戦してもいいかな、と思い始めています。

今回は練習量が減っていた年に練習すべき時期にコロナに感染したという巡り合わせの悪さもありました。そんな条件下で考えた戦略がそれなりにうまくいったと思います。

来年どうするかは別として、参加するなら今回のように思いつきで参加するのではなく、この大会に向けてちゃんとトレーニングしないといけないと思っています。

こういう経験を得られたので「思いつき」も悪いことばかりではありませんけどね。(私のランニングスポーツとの関わりはほぼ全て「思いつき」が起点です)